天使の羽根の降るところ
空を仰いで目を閉じた  天使の羽根が降ってきた
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SENTIMENTALovers
SENTIMENTALovers
SENTIMENTALovers / 平井堅

この冬、一番聴いたアルバムだと思う。
「思いがかさなるその前に」がとても好きで、それが聴きたくて買った。

「言葉にならない思いだけ強く手を握ろう」

この部分が心に響く。
どんな言葉をかけるよりも、どんな表情を見せるよりも、「手を握る」という行為が相手を安心させたり救ったり、素直にさせたりするんじゃないかと実感する時があるから。
「こんな時、ぎゅって手を握れたら、それだけで気持ちは伝わるのに」
そう思うのに、それが出来ないことが歯がゆい時があるから。
温度は、言葉以上に心を伝える。
そう、思う。



このアルバムの最後の曲は「センチメンタル」
ここ最近はこの曲ばかり聴いていた。今も聴いている。

「君を見つけて今わかったよ 手にするものは一つだけでいいと」

この歌詞がとても好き。
それからメロディーライン。
描かれている光景は、寒い寒い冬の日。
なのにとても心が温かくなって、なんだか胸がじーんと熱くなる。

「君の香りが残るマフラー 巻いて家路を急ぐ
 寒ささえ愛しく感じる」

この部分を聴くと、涙が溢れる。
その愛しさみたいなものが、流れ込むから。
「センチメンタル」は、冬の寒さが愛しくなる曲だ。
私はこの曲を聴く時、春の暖かさを求めながら、冬の寒さを手放さない。


ほしいのは、暖かさじゃなくて、温かさ。
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弘海 ――息子が海に還る朝―― 3
hiromiたった今、残りの第三章とエピローグを読み、「弘海」を全て読み終えた。
まだ、涙が完全には止まらなくて、頬を伝って顎からぽたぽた落ちているところ(笑)

まずは、前二回分でも書いているので、内容から。
第三章は、弘海の旅立ち。
家族と離れ、弘海は自分に最も相応しい場所を求めて旅立っていく。
その過程が綴られていた。
そしてエピローグは、旅立ちからちょうど一年後が綴られていた。

第三章に描かれる、別れのシーン。
親友と、妹と、両親と。
その様子を語り手である父親の視点から、淡々と綴られている。
誰かの感情が誇張されていたり、語り手がものすごく情熱的だったり、そんなことは全くない。
それなのに、旅立ちの前日の夜のシーンあたりから、読んでいる私は涙が溢れて止まらなかった。
まさに、私の「琴線」に触れた。

市川さんの書いた、話題の前作品「いま、会いにゆきます」に比べたら、地味な内容だと思う。
あちらが森の温もりだとしたら、こちらは水の温もり。
あちらがどんどん溜まって膨らんでいく温もりだとしたら、こちらはさらさら流れるような淡々とした温もり。
評価は人によって別れるところだと思うけれど、私は「弘海」を読んですごく満足している。
出会えて良かった。
そんな作品だった。

心に残った部分を、第三章からひとつ。エピローグからひとつ。

「きみの笑顔はパパのご飯であり、酸素だった。どんなにしおれていても、それがあれば、またすっくと立ち上がることができる。――(中略)――そんなとき、きみの笑顔を見ると、パパは「よし!」って思えるわけさ。「がんばろう!」って。きみが笑顔でいられるように、美和やママが楽しく暮らせるように、またがんばってみようって」

「このささやかな人生の中で、ぼくに届けられた最高の贈り物。それが、妻の、そして子供達の笑顔なのだ」


弘海 -息子が海に還る朝

弘海 -息子が海に還る朝/市川拓司
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弘海 ――息子が海に還る朝―― 2
hiromi第二章を読み終えた。
これで全体の三分の二を読み終えたことになりそうだ。


二章は、弘海に発症している特異な症状と同じ症状を持つ、市井里沙という女の子に辿り着くまでが書かれている。
第一章に比べたら、テンポアップされた展開。
そして第三章へと続くようだ。

弘海たち岸田一家が、初めて市井一家に自分達の存在を発信した夜に書いたという弘海の日記の文面が、とても印象に残った。

「ぼくらはきっとまた出会う。だって、二人は同じ場所に行こうとしているのだから」


弘海 -息子が海に還る朝

弘海 -息子が海に還る朝/市川拓司
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弘海 ――息子が海に還る朝―― 1
hiromi『ぼくはついに出会った、うれしくて、少しだけ泣きたくなった』
この本の帯書かれているこのコピーは、タイトルにもなっている弘海(ひろみ)というこの物語の語り手の息子が書いた日記の一頁目の言葉。
これが何を意味しているかは、読み進めないとわからないのだけれど。
3つの章とエピローグからなる物語の、第一章を読み終えたところ。
とはいってもこの物語、第一章が一番長いから、これですでに三分の一以上は読み終わった。
語り手が息子の弘海に対して書いている手紙と、それを書いている今現在の様子と、そして過去。
その三つを行ったり来たりしながら話が進んでいく。
今の段階では、まだまだわからないことが多くて、その全貌は見えてこない。

市川さんの書く文章は、使われている言葉がそれほど難しくなく、すんなり心に響いてとても読みやすい。
一気に読むこともできるけれど、なんだか大事に読んでいきたい気分。

本を読んでいて、強く印象に残ったり、心に響く部分というのは、「その物語の中で重要な部分」と、もうひとつ別に「読み手の『琴線』に触れる部分」というのがあると思う。
この琴線は、一人ひとり違うと思う。だから、いろんな感じ方や捉え方があって、おもしろいのだろう。

第一章の中に、私の琴線に触れた部分がいくつかあった。
その中でも、一際心に響いた部分がここ。
涙が零れ落ちそうだった。

原因のはっきりしない咳や頭痛に悩まされる弘海が、妹の美和の薦めで「海水塩」をいれたお風呂に入る。
それはすごく効果があって、弘海も喜ぶ。
浴室の外から様子を窺うと、浴室で陽気に歌を唄う弘海の声がする。
それを聞いた語り手である父親の心のうちが綴られている部分。

「ひどく幸福そうなその声が、ぼくの心を少しだけ軽くした。涙よりは笑顔を、溜息よりは歌声を。親はいつだって、そう子供に望んでいるのだから」

弘海 -息子が海に還る朝

弘海 -息子が海に還る朝/市川拓司
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映画「いま、会いにゆきます」
市川拓司さん原作の「いま、会いにゆきます」を読んでから、1ヶ月が経った。
今日、映画「いま、会いにゆきます」を観に行ってきた。

前にも書いたとおり、私は多くの人が涙した作品でも涙が出ないことがほとんどだ。
「世界の中心で、愛をさけぶ」も原作も読んだし映画も観た。
けれど、まったく涙が出なかった。
感動しなかったわけでも感銘しなかったわけでもないし、とても素敵な作品だと思ったけれど、そこまで込み上げる程の感情は得られなかった。
今回はどうだろう。
原作を読んだ時に込み上げてきた、なんとも言えない温かくて真直ぐな感動は得られるだろうか。
どきどきしながら映画館へ。

結果。

原作を読んだ時に込み上げたものと同じ感動を味わう事ができた。
空気の柔らかさやしっとり感は、原作のほうが感じられるかもしれない。
映画には出てこないとても素敵な言葉もたくさんある。
・・・でももしかしたら、伝わってくる温もりは、それ以上かもしれない。
本当に、素直に感動して涙がこぼれた。
原作を読んでいてストーリーの展開を知っているのに、結末だって知っているのに、それでも涙がこぼれて仕方がなかった。
なんて丁寧に作られた映画なんだろうと感動したし、とても嬉しかった。
映画の中で、秋穂澪(あいお みお)役の竹内結子さんが、何度か涙を流す。
その涙や表情から、言葉以上の感情を読み取れて、それが深く深く伝わってきて心に響いた。
とても、とても素敵だった。

「大切な人と観に行きたくなる」映画だと、心から思った。

最後に。

この映画は、最初から最後まで飽きることなく惹き付けられる素敵な映画だと感じたけれど、
本当に最後の最後まで丁寧に作られていることが実感できたのが、エンドロール。
「いま、会いにゆきます」のエンドロールは、必見です。

いま、会いにゆきます
いま、会いにゆきます
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ナイルの一滴
ここ数年・・・いや、数年なんてもんじゃない。
その数年の長さといったら、10年に近い気がする。
とにかくそれくらい長い間、私の日々の生活に流れていた音楽は、ジャズとボサノヴァが圧倒的に多かった。
ところがここ最近はちょっと違う。
J-POPといえばいいんだろうか。
日本語の歌詞を飲み込んで味わいながら、音楽を聴くことが多くなった。
ワタルは洋楽を聴くことが多いと、いつか言っていた気がする。
私は洋楽は滅多に聴かない。
とても素敵だと思う曲はたくさんある。
心に響くものも、もっと聴きたい、何度も聴きたいと思うものも。
でも、私には日本語以外の語学力がない。
乏し過ぎて、そこに込められている何か大切なものを心の奥底まで感じ取るということがうまく出来ない。
ワタルと一緒に聴いたら何かが変わるだろうか・・・・と漠然と思い、少し楽しみに思っていたりする。
でもそれはもう少し先の日々に流れるだろう音楽であって、今の私の日々には、日本語が流れ乗る音楽が主なようだ。


矢野絢子という女性を知っているだろうか。
私は少し前から名前だけは知っていた。
けれど彼女の音楽を「矢野絢子の音楽」としてはっきり意識して聴いたのは、そんなに前ではない。
多分9月中旬のことだと思う。
ミュージックステーションに彼女が出演した時のことだ。
何か他の目的があって(それが誰の音楽を聴きたかったからなのかは覚えていない)見ていたMステで、彼女の歌声に圧倒された。
「夕闇」という曲をピアノを弾きながら歌っていた。
何が響いたんだろう、何が触れたんだろう、まったくわからない。
わからないけれど、気がつけば、私はぼろぼろ涙をこぼして泣いていた。
とんでもない音楽に出会ってしまったと思った。
それから約1ヶ月後、ファーストアルバムが発売された。

ナイルの一滴
ナイルの一滴 / 矢野絢子

彼女の音楽は、聴くたびに圧倒される。
音楽全体がストレートに入り込んでくる。
それは、弱り切ってる時に聴いたら打ちのめされてしまいそうなほどだ。

6曲目に「ニーナ」という曲が収録されている。
「ニーナ」を聴いた時、私は彼女の音楽を聴いてニ度目の涙を流した。
泣いてしまった自分に驚く瞬間、だった。




私の好きな物書きさんの日記に彼女のことが書かれていた。
やはり「ニーナ」で泣いてしまったと。
最後まで聴いたら泣いた場所がわかるはずだと書かれていたのだけれど、はたして私が泣いたところと同じだろうか。
機会があったらたしかめてみたいな。
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永遠(とわ)にともに
永遠にともに
永遠(とわ)にともに / コブクロ

初めて耳にしたのはどこでだったか・・・
染み渡るようにじんわりと入り込んでくるメロディーと歌詞に、惹き付けられた。

「心が今とても穏やかなのは 
 この日を迎えられた意味を
 何よりも尊く感じているから」

ツアースタッフの結婚式で披露されたという「結婚」をテーマにしたこの曲は、あふれんばかりの愛と光り輝く希望がつまった、とても温かな曲だ。

「特別な事など何もない 
 ただ いつもより少し 
 シャンとした服を着てるだけ
 君はとても綺麗だよ」

二人の始まりの日、自分の隣に立つ最愛の人を目を細めて見る。
「とても綺麗だよ」という言葉に、くすぐったくて嬉しくて、自然と笑みがこぼれるだろう。
それはきっと何よりも綺麗な微笑みで、それを見て、また「綺麗だ」と思うのだ。
そして「必ず幸せにしよう。幸せになろう」と思う。
そんな光景が浮かんでくるようで、私はこの部分がとても好きだ。

「共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
 共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
 共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
 ささやかな幸せが 木漏れ日のように
 やわらかに降り注ぐ そんな日々を描きながら
 いつの日も どんなときも」

気がつけば、涙が込み上げる私がいた。
泣き虫になったのは、季節のせい?年齢のせい?
それとも、愛して止まない人がいるせい・・・・?


ささやかな幸せが、結婚という形におさまる人たちでなくとも、愛しあい想いあい寄り添う、そんな深い心の繋がりの中生きる人たちみんなに降り注げばいい。
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